テレクラの思い出「石田ゆり子に激似の奥様を抱いた夜」

今日は80年代テレクラの私の最高のテレ特ゲット体験記を書きたいと思う。ちなみにテレ特とはテレクラでナンパした女が特上レベルの美女だった時に使う言葉である。今であればS級とか使うのかな?まあ知らんけど。

80年代のテレクラはハッキリ言って尋常でない程楽しかった。今みたいに割り切り、サポみたいな援助交際目的の女なんて殆どいなかった。純粋にデートしてセックスを楽しみたい女で溢れていたのだから。かの有名な、首都大学東京の宮台真司先生も青春時代にはテレクラに通い詰めて、数百人の女を抱いたという話はあまりにも有名だ。

それくらいテレクラ、つなわちテレフォンクラブは一般的に浸透していた遊びだった。

私の最高のテレ特体験は今でも女優として活躍している石田ゆり子似の人妻と出会えた事だ。彼女とテレクラを介して初めて出会った時の衝撃はすさまじい。

「芸能人が来た??」

本当に何かのドッキリかと思ってしまった。彼女の身長は167センチ程度でモデル体系で顔が本当に小さい。言葉使いも丁寧で、とてもじゃないがテレクラを利用する人には見えなかった。

出会った直後は、歌舞伎町の喫茶店でカフェタイムを楽しんだのだが、テレクラを利用するゆり子さんには事情があった。

「実は最近旦那と分れたんですが、私はセックス依存が強くて誰か側にいないと、頭がおかしくなりそうなんです」

「はい!はい!僕が側にいます!」

口より脳が先に発していた言葉だった。無意識にゆり子さんに告白してしまった私。

「本当ですか?私で良かったらお願いします」

私の下半身は爆発寸前だった。とにかく直ぐにでも、ゆり子さんを抱きたい。というか結婚しても良い。それ位、ビビビっと来る女性だった。はっきり言ってこの後、無理やりにでも中出しして妊娠させてやる!これくらいに思っていたから。

歌舞伎町のラブホテルで私は、ゆり子さんとメチャクチャなセックスをした。ホテルの部屋に入るなり、服を乱暴に脱がして、肌が露出した所を全て舐め回して行った。ゆり子さんの体はとても敏感で、軽く舌先で触れただけでもビクンビクンっ!と波打つ。

オマンコを攻めたら、この美女はどうなってしまうんだろう?私はクンニリングスをしてみた。ゆり子さんの中は大洪水だった。マジで汁が溢れ出ている。もったいないと思い全てのマン汁を飲み干した。クンニを始めるとゆり子さんは小刻みに痙攣し出す。本当に感度がハンパではないのだ。

私は、容赦なくゆり子さんに中出しを何回もした。朝まで10時間ほどノンストップでのセックスだ。ゆり子さんの性欲も相当なものだった。朝方の、ゆり子さんの膣内からは私の精液が溢れとんでもない事になっていた。

それから私とゆり子さんは数年間、肉体関係を持ち続けた。私の思い出の最高のテレクラ体験。